2011年10月17日

「曙光」偏見としての道徳に関する諸考察

「この人を見よ」(10)
--発狂前年の最後の著作--
ニーチェ 1844-1900
Friedrich Wilhelm Nietzsche
西尾幹二訳
1998.8.20 第10刷発行(新潮文庫)

<「曙光」偏見としての道徳に関する諸考察>
「この本をもって私の道徳撲滅キャンペーンが
開始される。」

「この本が他に勝っている技術といえば、軽やか
で音もたてずに掠(かす)め過ぎて行く物たち、
私が神に似たトカゲと呼んでいるあの刹那、刹那
を、ほんのちょっとだけ動かぬようにすることに
かけての、並大抵ではない技術である。」

「同書において道徳は攻撃を受けているのではない。
ただ、もはや眼中に置かれていないというだけの
話だ。」

「私の使命は人類の最高の自覚の瞬間を準備する
こと・・・「利己主義」を完全な確実さをもって
遂行するのを怠ったとしたら、全体が退化するの
である。・・・僧侶が欲しているのは、ほかでも
ない、全体のこの退化であり、人類の退化である。
僧侶はそれゆえ退化して行くものの保存をはかり、
その報酬として人類を支配するのである。」

<「悦(よろこ)ばしき学問」>
「「曙光」は肯定の書である。深い、だが明るく
、温良である。同じことがもう一度、しかも
最高の程度に「「悦ばしき学問」にも当て嵌まる
だろう。」

panse280
posted at 19:33

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