2011年08月14日

森鴎外の偉大なところ

「父の像」(3)

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto
2010.6.10 第1刷発行(ちくま文庫)

<森鴎外の偉大なところ>
「鴎外がほんとうの意味で優秀な人だなといえる
のは、・・・つまり父親のなんでもない日々の勤
めみたいなこと、この作品(「カズイスチカ」)
でいえば、お医者さんとして庶民の診療に全身全霊
で打ち込んでいるところを、大変なことなんだな
と気がつく。
それに比べて、じぶんは、いつでも今やっている
のはおれのほんとうにやりたいことじゃないと
いうふうに思えて、終始どこか腰がすわっていない。
医者をやっても、小説を書いても、官吏をやっても、
これはじぶんのほんとうにやりたいことではないんだ、
と思わざるをえないじぶんをかえりみているわけです。
鴎外は生涯そんなことで終始しました。
・・・
じぶんは文学者だと決めたことはないし、もしか
すると決めうるようなふうに作品を書いていない
んです。わざと決めないように作品を書いている
ように僕には思えます。・・・じぶんのやっている
ことはほんとうじゃないんだ、おれのほんとうに
やりたいことは何かもっと違うことなんだ、と
いつまでも思っている。・・・(それと同時に)
父親の・・・誠実な患者への対し方の中に父親の
すばらしさを見つけ出すことができている。
そこが鴎外の偉大なところというか、鴎外を一級の
作家にさせたところだと思います。」

<父性>
「すきな文学者のうち、偉大な父性といえるのは
漱石と鴎外ではないかとおもう。漱石の父性は
悲劇的であり、偉大でありうるところまでつき
すすんだ。鴎外は偉大な父性でありながら、父性
のもつ悲劇性を緩和することにエネルギーを
使いすぎた。」

panse280
posted at 21:15

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