2011年08月08日

賭(かけ)の精神

「パスカル「冥想録」に学ぶ行き方の研究」(5)

渡部昇一 1930-
shouichi watanabe
2006.4.6 第1刷発行(致知出版社)

<神は隠れている>
パスカルは「神は隠れている」といいます。
神は半分しか現れない。全く現れれば、「信じる」
ではなく「事実」になってしまう。
「ある人の前には現れ、別のある人の前には現れ
ない。これが神だと(パスカルは)いうのである。」

<賭(かけ)の精神>
「神様はいると賭けて、もしいたらすべてを得る。
もし神様がいないとしても、失うものはない。
ところが、神がいないというほうに賭けて、もし
神がいたらどうか。これは大変なことになる。
何も得られず、すべてを失うことになる。」

神様がいる、と賭けたら、
「君は忠実に、正直に、謙遜に、謝恩的に、慈悲深く、
友人としては真摯に、実直になるだろう。実際、君は
有害な快楽や栄誉や逸楽に陥らなくなるだろう。・・
私は敢えて言うが、君はそれによって既にこの世で
得をするであろう。・・・自分は確実な無限なもの
に賭けた、そのために何も損をしなかったということ
を、ついには認めるであろう。」(パスカル)

「このパスカルの神の観念はジャンセニストの神の
観念であって、私(渡部)はその後、この考えは
間違っているのではないかと思うようにもなった。
しかし、私がパスカルの「賭の精神」に文字通り
”賭けて”洗礼を受けたことは事実である。」

panse280
posted at 20:02

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