2011年07月22日

鴎外と漱石

「決定版 夏目漱石」(28)

江藤淳 1932-1999
jun etou

2006.9.20 第12刷発行(新潮文庫)
(この本の内容は1955-1974に書かれたもの)

<鴎外と漱石>
大正5年(1916)1月13日から鴎外「渋江抽斎」を
「東京日日新聞(毎日新聞)」に連載開始。
同年、3月28日、鴎外の母死す。その1ヶ月後、
「渋江抽斎」完結。それから10日もたたぬうちに
漱石が「明暗」を「朝日新聞」に連載開始。
その年、12月9日、漱石死す。(50才)
鴎外(55才)も漱石の葬儀には参列している。

鴎外と漱石は、お互いに「見た」ことはあるが
交流はなかった。
「実際には漱石は鴎外が同時代の小説家の中で
ただ一人尊敬していた人です。尊敬というか、
好敵手と見ていた人です。」
鴎外の「イタ・セクスアリス」には、
「夏目金之助君が小説を書き出した、金井君
(主人公の鴎外)は非常な興味を以て読んだ。
そして技養を感じた。」

漱石はというと、明治43年10月18日の日記に、
「鴎外漁史より「涓滴(けんてき)」を贈り来る。
漱石先生に捧げ上ると書いてありたり。恐縮」

当時、明治文壇の主流は坪内逍遙、二葉亭四迷、
田山花袋、島崎藤村、正宗白鳥で、鴎外と漱石
は、海外経験者組として対立していた。
「スバル」「三田文学」の鴎外は漱石の「朝日新聞」
の文芸欄の脅威を「スバルや三田文学がそろそろ
退治られさうな模様である」と書いている。

panse280
posted at 20:22

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