2011年07月06日

「道草」--日常の生活と思想

「決定版 夏目漱石」(12)

江藤淳 1932-1999
jun etou

2006.9.20 第12刷発行(新潮文庫)
(この本の内容は1955-1974に書かれたもの)
当時、江藤氏は23歳の慶応の学生だった。

<「道草」--日常の生活と思想--漱石48歳>
「漱石はまさしく倫理的な人間であった。それにも
かかわらず、彼が真に倫理的な主題を取り扱ったの
は「道草」においてを嚆矢(こうし:最初)とする。」

「私小説」というものが、「芸術家」の日常を
描きたい、という意志の別名だとすれば、漱石の
いわゆる「私小説」作品といわれるこの「道草」は、
最も非「私小説」的世界である。

「この小説の過程は、知的並びに倫理的優越者である
と信じていた健三が、実は自らの軽蔑の対象である
他人と同一の平面に立っているにすぎないことを知る
幻滅の過程であるといってよいので、ここにある「主題」
は、漱石の成功作がしばしばそうであったように、
「自己発見」の主題である。」

「彼にとって、「恐れる」のは常に男であり、「恐れ
ない」のは女であった。そしてこと日常生活に関する
かぎり、「恐れない」者は常に勝利者なのだ。いかなる
悪徳の上にきずかれたにせよ。・・・
この小説の結末で、「世の中に片付くなんてものは
殆(ほとん)どありやしない」と苦々しく吐きだす
ようにいう健三に対して、お住は「不審と反抗」の
気色を見せながら、・・・(赤ん坊を抱き上げて)
「お々好い子だ。お父さまの仰(おっし)やる事は
何だかちっとも分りやしないわね」・・・」
お住の中にある「自然」に屈服したあとでも日常生活
に対する生理的な嫌悪感は健三に残るのである。
漱石の思想性は、この嫌悪感から生まれてくるので
ある。

panse280
posted at 20:01

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字