2011年06月23日

漱石に無関心なドナルド・キーン

「世界文学のスーパースター夏目漱石」(19)

ダミアン・フラナガン 1969-
damian flanagan

2007.11.29 第1刷発行(講談社インターナショナル)

<漱石に無関心なドナルド・キーン>
フラナガンは「漱石イギリス小品集」の翻訳で
ドナルド・キーン日本文化センターから日米友好
基金日本文学翻訳賞を授与された。

欧米人の中でキーン氏ほど日本文学を知っている
人はいない。欧米人はキーン氏の日本文学論によって
日本を学ぶ。フラナガンにとってキーン氏は雲の上
の存在だ。

しかし、フラナガンは「日本らしさ」にこだわる
キーン氏に反発し、漱石に興味をしめさないキーン氏
に失望する。私もキーン氏の大ファンでであるが、
彼の漱石評には、何故?の一言である。

<シェイクスピアは何故有名になったのか>
1616年、シェイクスピア没。
1726-1728年の間、ロンドンにいた、ヴォルテール
(1694-1778)が「哲学書簡(1734)」の中で初めて
ヨーロッパにシェイクスピアを紹介。
ヴォルテールはシェイクスピア作品について、
「彼の巨大なるこやしの山のなかから、ごくわずかな
真珠を見つけ、フランスに初めて紹介したのはこの私
である。」と書いている。

1741年「ジュリアス・シーザー」ドイツ語訳出る。
低俗で粗野な作品として見られていたシェイクスピア
の作品が一気に広まったのはドイツ・ロマン派の作家
たち(レッシング、シラー、ゲーテなど)のお陰である。

<未来の漱石>
漱石はいつの日は、世界文学の王になるのかもしれない。
漱石は古今の世界文学を読み、それぞれに感動もし、
感嘆もした。しかし、どの作家も、漱石を満足させる
ことはできなかった。そこから漱石は書き始めている
のだ。
「若き作家、芥川龍之介に送った書簡の中で、漱石は、
馬のように生きてはいけない、他人と競ってゴールを
目ざしてはいけない。むしろ牛のように生きろ、一人
でのんびりと歩きまわり、自分の道を見つけるのだ、
と諭している。」
漱石没後、今年で95年。漱石はいまだに、日本文学の
王様である。

panse280
posted at 22:05

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