2011年06月21日

吉本隆明の漱石像

「世界文学のスーパースター夏目漱石」(17)

ダミアン・フラナガン 1969-
damian flanagan

2007.11.29 第1刷発行(講談社インターナショナル)

<吉本隆明の漱石像>
フラナガンは吉本隆明の「夏目漱石を読む」を読み、
「著者は漱石の作品に登場するさまざまな男性主人公
は漱石の分身であり、彼の神経症と不安を表現してい
ると見ているようだった。・・・
漱石はそういうセンチメンタルな作家ではない。」

フラナガンは吉本が漱石をあまりに低く評価している
ことに憤り、吉本批判をさっそく、共同通信を介して、
地方紙に掲載した。

フラナガンは吉本という男を全く知らなかった。後日、
彼が有名な思想家・評論家であることを知り、さらに
反発した。有名なら、何を言っても許されるのか、と。

この行き違いは面白い。吉本は近代文学の中で、漱石
を最高の作家と評価し、フラナガンは、世界文学の中
で漱石を最高の作家として評価しているのである。

この行き違いは、どこからくるのだろうか?

吉本にとって、知識人の最後の課題は、「非知」なのだ。
「知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠く
にある最後の課題である。」(「最後の親鸞」)

フラナガンにとって「非知」や「愚」というものが、
最後の課題になっているのか、そこがポイントでは
なかろうか。

panse280
posted at 18:56

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