2011年05月23日

鴎外評

「森鴎外について」(2)


<三島由紀夫と鴎外>
「たとえば、「志賀直哉氏はいい文章を書く」
と言うのはいい。私(三島)は肯定する。
しかし「志賀直哉氏は立派な文体を持っている」
と言うなら、私は少し異論がある。これに
反して、私の考えでは、「森鴎外はいい文章を
書き、かつ立派な文体をもった作家」である。

「鴎外は、あらゆる伝説と、プチ・ブウルジョアの
盲目的崇拝を失った今、言葉の芸術家として真に
復活すべき人なのだ。言文一致の創生期にかくまで
完璧で典雅な現代日本語を創り上げてしまった
その天才を称賛すべきなのだ。」

三島由紀夫が好んだ鴎外の短編は「百物語」「花子」
「寒山拾得」「追儺(ついな)」「普請中」

<太宰治と鴎外>
「明治大正を通じて第一の文豪は誰か。おそらくは
鴎外、森林太郎博士であろうと思う。あのひとなど
は、さすがに武術のたしなみがあったので、その文章
にも凛乎たる気韻がありましたね。」
(太宰治「花吹雪」)

太宰治と森鴎外の墓が、三鷹の禅林寺に向かい合ってある。
桜桃忌(太宰の命日・6月19日)には大勢の人が訪れるが、
鴎外の墓は静かである。ちなみに鴎外忌は7月9日だ。

太宰は何度かこの鴎外の墓を詣でたそうです。
酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、
同じ墓地に眠る資格は私に無い。私はその日、鴎外の端然た
る黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したの
である。
(太宰治「花吹雪」)

<永井荷風と鴎外>
「渋江抽斎」は言文一致の中に漢文古典の品格と西洋近代
の鋭敏な感覚が織り込まれたすばらしい文体。

「抽斎」が伝記編述の方式は先生独特の創案に
もとづくもので、古今を通じていまだかって
何人も企てることを得なかったものである。
わが人文史上空前にしてしかも絶後のものである。
「抽斎」の伝記述の方式は、科学と芸術との
不可思議なる合致を示したものである。
科学的精神の基礎なくしてはこの方式は構成
しがたく、芸術的創作の妙あって初めてこの
体裁は成立し得たものと見ねばならない。
(「荷風全集」第15巻249-250頁)
余談:永井荷風は昭和34年4月、市川の自宅で倒れ
そのまま帰らぬ人となった。机の上には森鴎外の
「渋江抽斎」が置かれていたという。荷風は死ぬ
直前まで「渋江抽斎」を読んでいたのである。

<佐藤春夫と鴎外>
「雁」「イタ・セクスアリス」「渋江抽斎」
が鴎外ベスト3,「渋江抽斎」を第一位にしている。

「「渋江抽斎」は、詩に劇に小説に評論にさまざまな
試みをして、自己の文学を年久しく模索しつづけていた
この大家が、晩年にやっと見つけ出した独自の、
そうして多分純然たる独創の自然科学的な方法に
よって書かれた一種の歴史小説である。
実在の人物の史実のうすれて影のようになって
いたもののなかに、作者がその知能の全部を傾けて
己の全部を投げ込んで、他人の生活をもう一度
自己のものとして生き直して見ようとするかのような
異常な情熱をもって、影絵のような史上人物を、
あるいは文献によって、あるいは自己の体験と
詩的空想とによって立体化したもので、丸ぼり
されたこの主人公は抽斎にして鴎外、鴎外にして
抽斎というような域にまで達した作品である。
成功した力作だから、その眼力があって一編を
読破することができさえすれば、これだけで
全鴎外を知るに足るという代表作である。
簡潔で素朴な古典的な文章は読者になれなれしく
するを許さないものであるが、味わうにしたがって
尽きぬ妙味を知るであろう。」
(「森鴎外ベストスリー」佐藤春夫、昭和25年8月9日)

<吉本隆明と鴎外>
「やはり鴎外、漱石ぐらいではないでしょうか。
本当にお世辞抜きで推薦するとそれぐらいでは
ないでしょうか。」

<丸谷才一と鴎外>
「「渋江抽斎」は「近代日本文学の最高峰」」

<福永武彦と鴎外>
「鴎外には、それを読んだだけでこちらの文章がよく
なるという特効がある。」

<鴎外最後の作品は「桃太郎」>
「日本人で「桃太郎」を知らない人はいないだろう。
しかし、それが森鴎外の最後の作品だったということ
を知る人はほとんどいない。」

panse280
posted at 20:16

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