2011年05月22日

妄想

「森鴎外について」(1)


<「妄想」より>
--鴎外の心情を最も写している作品--

「生まれてから今日まで、自分は何をしているのか。
始終何物かにムチうたれ駆られているように学問と
いうことにあくせくしている。これは自分にある
働きが出来るように、自分を仕上げるのだと思って
いる。・・・自分のしている事は、役者が舞台へ
出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。
その勤めている役のうしろに、別の何物かが存在して
いなくてはならないように感ぜられる。・・・
勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する
官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である。
・・・夜寝られない時、こんな風に舞台で勤めながら
生涯を終わるのかと思うことがある。」

「どこかに慰謝になるような物はないかと捜す。
しかしこれも徒労であった。或るこうゆう夜の
事であった。哲学の本を読んで見ようと思い立って、
夜の明けるのを待ちかねて、ハルトマンの無意識哲学
を買いに行った。(当時、最も流行になった哲学)」

「それから無意識哲学全体の淵源だというので、
さかのぼって、ショウペンハウエルを読んだ。」

ドイツ留学が終わった。日本の将来のための
何か、を持って帰らなければならない、私の荷物の
なかにあるのは、ショウペンハウエル、ハルトマン
系の厭世哲学しかない。

「自分は失望を以て故郷の人に迎えられた。」

「汝の義務とは何ぞ。日の要求なり」これは
ゲーテの言葉である。

「日の要求に応じて能事おわるとするには足ること
を知らなくてはならない。足ることを知るということが、
自分にはできない。自分は永遠なる不平家である。」

「ハルトマンは人間のあらゆる福を錯迷として打破して
行く間に、こんな意味の事を言っていた。大抵の人の
福と思っている物に、酒の二日酔いをさせるように
跡腹の病めないものはない。それのないのは、ただ
芸術と学問との二つだけだと云うのである。自分は
丁度この二つの外にはする事がなくなった。それは
利害上に打算して、跡腹の病めない事をするのではない。
跡腹の病める、あらゆる福を生得好かないのである。」

時間の許すかぎり、文学や哲学の本を読んだ。そして
「度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表す
べき人が大勢あったのである。」帽は脱いだが、どの人
かに付いて行こうとは思わなかった。

書物の外で、もてあそんでいるのはルーペ、顕微鏡、
望遠鏡である。自然科学の記憶を呼び返す、折々の
すざびである。

「日の要求に安んぜない権利を持っているものは、
恐らくはただ天才ばかりであろう。自然科学で大発明
をするとか、哲学や芸術で大きい思想、大きい作品を
生み出すとか云う境地に立ったら、自分も現在に満足
したのではあるまいか。自分にはそれが出来なかった。」

「かくしてもはや幾ばくもなくなっている生涯の残余を、
見果てぬ夢の心持ちで、死を恐れず、死にあこがれずに、
送っている。」


panse280
posted at 19:31

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