2011年04月22日

敵を知ることこそ肝要なり

「侵略の世界史」(26)
清水馨八郎 1919-
keihachiro shimizu

2010.7.10 第11刷発行(祥伝社)

<敵を知ることこそ肝要なり>
外国に対抗するには、まず外国を知れ。
これが明治初期の日本が目指したことである。
それは、松蔭の弟子、伊藤博文と井上馨の
ロンドンへの密航留学からはじまった。
1860年、咸臨丸(オランダで建造、原名ヤパン号)
で、勝海舟、福沢諭吉などが乗り込む。

明治4年から6年、岩倉使節団、百余名の米欧
14カ国の回覧視察。

次ぎは、欧米から破格の給与で学者、技術者を
招いた。明治8年には527名、明治16年には132名、
明治20年代になると、日本人だけで自前でやれる
ようになった。
<月給比較>
岩倉具視 600円(参考)
大久保利通 500円(参考)
フルベッキ 600円
ロエスレル 600円
ジュ=ブスケ 600円
キンドル 1,045円
ダイエル 660円
等々

panse280
posted at 21:01

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