2011年03月21日

小説の厳密な定義

「小説読本」(2)
三島由紀夫 1925-1970
yukio mishima

2010.10.25 初版(中央公論新社)

<小説とは何か>
柳田国男氏の「遠野物語」第二十二節、
「佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺
に取納め親族の者集り来て其夜は一同座敷に
て寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁せられ
たる婦人も亦其中に在りき。喪の間は火の気
を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と
母との二人のみは、大なる囲炉裏の両側に坐
り、母人は傍(かたわら)に炭籠を置き、折々
炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音
して来る者あるを見れば、亡くなりし老女な
り。平生腰かがみて衣物(きもの)の裾の
引ずるを、三角に取上げて前に縫附けてあり
しが、まざまざとその通りにて、縞目にも目
覚えあり。あなやと思ふ間も無く、二人の女
の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取
にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとま
はりたり。母人は気丈の人なれば、振り返り
あとを見送りたれば、親縁の人々の打臥した
る座敷の方へ近より行くと思ふ程に、かの狂
女のけたたましき声にて、おばあさんが来た
りと叫びたり。其余の人々は此声に睡を覚し
只打驚くばかりなりしと云へり」

「この中で私(三島)が、「あ、ここに小説
があった」と三嘆これ久しうしたのは、「
裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればく
るくるとまはりたり。」という件(くだり)
である。・・・この一行のおかげで、わずか
一頁の物語が、百枚二百枚の似非(えせ)
小説よりも、はるかにみごとな小説になって
おり、人の心に永久に忘れがたい印象を残す
のである。」

つまり、死んだはずのばあさんが幽霊として
現れた。しかし、幽霊は現実ではないから、
炭取を動かすことなどできないはずである。
しかし、炭取は回ったのである。幽霊の実在
が証明されたのである。「しかもこの効果が
一にかかって「言葉」に在る、とは、愕(お
どろ)くべきことである。・・・私(三島)
が「小説」と呼ぶのはこのようなものである。」

「凡百の小説では、小説と名がついている
ばかりで、何百枚読み進んでも決して炭取の
廻らない作品がいかに多いことであろう。
炭取が廻らない限り、それを小説と呼ぶこと
は実はできない。小説の厳密な定義は、実に
この炭取が廻るか廻らぬかにあると云っても
過言ではない。」

panse280
posted at 15:58

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