2011年03月01日

糸川英夫略歴

「八十歳のアリア」(2)
糸川英夫 1912-1999
hideo itokawa

1992.7.5 第1刷(文藝春秋)

<糸川英夫略歴>
「リンドバーグ大西洋無着陸単
独飛行成功のニュース」(1927年5/21日)を聞いて、
ヒコーキ家を志した。

1935(昭和10年:23歳)東京帝国大学工学部航空学科卒

「僕は大学時代、世界中の飛行機は隅から隅まで勉強
し尽くした人間である。メッサーシュミットがどうい
う経歴で、どういう発想で戦闘機をつくってきたのか、
この次戦闘機をつくったらたぶんこんな発想を出すだ
ろう、ぐらいのことは全部頭の中でイメージできた。
またアメリカのグラマンはたぶんこうなる、アメリカ
のハワード・ヒューズだったらこういう構造になると
いうことがすぐに頭に浮かぶくらいであった。」

中島飛行機に入社。
九七式戦闘機、一式戦闘機 隼、二式単座戦闘機 鍾馗
などの設計。デビュー戦はノモンハン事件であった。
97戦闘機は1機で、ソ連の戦闘機を20機以上撃墜した。
日本が飛行機をつくりはじめて、外国の飛行機と空中
対戦したのは、ノモンハン事件が最初である。

「ノモンハンは、地上戦では惨敗したけれども、空中戦では
圧勝した。圧勝した理由は、当時使った97戦闘機の設計者が
糸川英夫という天才だったせいだ」(小室直樹)

1941(昭和16年:29歳)
中島飛行機退社、東京大学工学部航空学科助教授に就任。

1945(昭和20年:33歳)戦争が終わった。

1948(昭和23年:36歳)同上、教授に就任。
大学の研究室は「航空工学」から「音響工学」に
看板を掛け替えた。大蔵省からあっさりと認められ
たのは、当時、「脳波測定器開発」の研究もやって
いたからだという。

1951(昭和26年:39歳)音響学の研究で工学博士の学位取得。

1953(昭和28年:41歳)シカゴ大学客員教授として渡米。

1956年、カッパロケットを発射。以後1960年代はラムダロ
ケット、ミューロケット、おおすみなどに関わった。

1963(昭和38年:51歳)国際航宇宙アカデミー終身会員となる。

1967(昭和42年:55歳)組織工学研究所設立。

1974(昭和49年:62歳)「逆転の発想」出版。クラシック
バレーを始める。

1979(昭和54年:67歳)「女性人生読本」「細密占星術」
「未来占星術」その他、未来予想小説「みえない洪水
ケースD」などを出版。

1980(昭和55年:67歳)東京交響楽団理事長に就任(〜1988)

1981(昭和56年:68歳)米国国際経営学大学院客員教授に任命される。
種族工学研究所を設立。
中国科学院名誉会員に就任。

1986(昭和61年:73歳)日本ヘブライ大学協会設立。

1987(昭和62年:74歳)日本産業人テルアビブ大学協会設立。
日本ワイツマン協会設立。
農林水産省農政審議会専門委員に任命される。
東京NKホール(株)取締役に就任。
日本ベングリオン大学フレンズ設立。
「糸川英夫の頭を良くする法」出版。

1988(昭和63年:75歳)月刊「オムニ」編集長に就任。
「平賀源内」出版。

1989(平成元年:76歳)仏国国立ポンショセ工科大学
(パリ)の国際経営講座の教授に任命される。

1990(平成2年:77歳)「モーツアルトと量子力学」出版。

1991(平成3年:78歳)「新解釈”空”の宇宙論」出版。

1992(平成4年:79歳)「八十歳のアリア」出版。

1993(平成5年:80歳)「え!糸川英夫が万葉にいどむ」出版。
「一日一発想365日」出版。

1994(平成6年:81歳)「般若心経と最新宇宙論」出版。

1995(平成7年:82歳)「人類生存の大法則」出版。

1996(平成8年:83歳)「21世紀への遺言」出版。
この本の初めに曰く、「21世紀は簡単に予想できる。・・・
結論からいいますと、人類が地球上に現れて初めての輝かしく、
非常に幸福に満ちた黄金の世紀になると思います。なぜかは、
この本を読んでいただければわかると思います。」
ちなみに、この本は「人類は21世紀に滅亡する!?」の続編です。

1999年2月21日に死去(86歳)。

panse280
posted at 19:41

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