2011年02月22日

出る”ロケット”は打たれる

「はやぶさ」(10)
吉田武 1956-
takeshi yoshida

2010.6.25 第2刷(幻冬舎新書)

<宇宙開発先進国>
--糸川英夫物語----
1958.10 「航空宇宙局(NASA)」(米国)設立。

「国際地球観測年(IGY)」(1957.7-1958年末)
の期間中に観測ロケットを自力で打ち上げた
国は、米国、ソ連、英国、日本の4カ国であった。

<出る”ロケット”は打たれる>
わずか3年で、数々の成果を挙げた日本。
カッパ8号はインドネシアに輸出された。
欧米は心よく思わなかった。
「ルール」は欧米がつくる、そして世界は
それに従う、欧米の権益は絶対に守らなければ
ならいのである。日本のロケット開発は、さま
ざまな障害にさらされた。当時、日本の海岸線
は、米国の占有状態であり、ロケット発射場
を確保することがままならなかった。
1960年10月24日、糸川は密かに内之浦を訪れた。
平地がほとんど無い内之浦は絶望的な場所に
思えた。しかし、糸川は「逆転の発想」で、
山は山として生かしながら、1961年4月、
「鹿児島宇宙空間観測所」を起工した。
略称「KSC」(kagoshima Space Center)は
米国の「ケネディー宇宙センター」略称「KSC」
に先んじたものである。

余談:1980年代、F1においてホンダは圧倒的な
強さを発揮していた。そこで主催者は「ルール」
を変えて、ホンダをつぶすことに成功した。
オリンピックのスキー・ジャンプもそうだ。
欧米人は、自らの権益を守るために何でもする、
それは、卑怯でもなんでもない、それが彼らの
常識なのである。

panse280
posted at 20:33

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字