2011年02月17日

ロケットなら米国に勝てる

「はやぶさ」(5)
吉田武 1956-
takeshi yoshida

2010.6.25 第2刷(幻冬舎新書)

<戦闘機「隼(はやぶさ)」>
--糸川英夫物語----
1940年(皇紀2600年)皇紀の末尾をとって
零式戦闘機「ゼロ戦]がデビュー。

1941年(皇紀2601年)皇紀の末尾を取って
1式戦闘機「隼(はやぶさ)」がデビュー。

糸川設計の隼は零戦に並ぶ名機と呼ばれ、
糸川の名前は、零戦の設計者・堀越二郎と
共に、広く知られるようになった。

終戦、ポツダム条約には、日本のあらゆる
航空機関連の研究、開発を禁止する条項が
あった。当時、ドイツに次ぐ技術水準を
持っていた日本は占領軍によって、全てを
破壊された。

<ロケットなら米国に勝てる>
ポツダム条約によって航空機研究が出来な
くなった糸川は「航空工学」の講座を破棄し
て「音響工学」の講座を開設し、「ペンレ
コーダー式の脳波測定器」「麻酔深度計」
などを開発した。

1952年、糸川はシカゴ大学から「麻酔に関する
講義」の依頼を受けて渡米。
図書館で本を漁るうちに、今更ジェットエンジン
による航空機を作っても、米国には勝てない、
しかし、ロケット航空機ならまだ米国に勝てる
と思った。

<糸川のロケット研究>
糸川のロケット研究とは1953年から1967年の
東大退官までの僅か15年程度である。
しかし、いまになっても、「宇宙開発の父」
としての糸川の鮮度は全く落ちていない。
その新鮮さの秘密は、人間的な魅力もさること
ながら、糸川の残した「手法」が極めて合理的
であり、現在もその効力を失っていないことに
起因する。

panse280
posted at 19:27

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