2011年01月26日

神を食べる儀式

「天皇の起源」(15)
林房雄1903-1975
fusao hayashi

1988.12.05 初版発行(株式会社天山出版)

<神を食べる儀式>
大嘗祭の深い解釈を求めて、林氏は文献を
探し続けた。そして行き当たったのが、
橘孝三郎氏の大著「神武天皇論」であった。
以前にも読んだ、と言っているこの本の
ことを、”たいへん癖の強い本”と言っている。
「だが、今度再読して、「大嘗祭」の章(941
ページ)まで行きついたとき、私(林)は
驚きを新たにした。
橘学説の眼目は、大嘗祭も新嘗祭も「神を祭る
儀式」ではなく、「神を食べる儀式」である
という点に存する。」

「大嘗祭も新嘗祭もともにスメラミコト復活祭
であって、前者は一世一度の大復活祭であり、
新嘗祭は年次復活祭である。」

問題の鍵は稲にある。

「御稲は一束ずつを籠に入れ、二籠を以て
一荷となして、それは賢木をさして木綿(ゆふ)
をつけて聖別される。すなわち神として取扱わ
れる。
・・・
日本の大嘗・新嘗祭の稲は単なる供物ではなく
神であり、しかも「食べられる神」である。
・・・
大嘗・新嘗祭はユダヤ教の「聖餐式(サクラメント)
」、ギリシャのゼウス大神のアンブロシア(神食)
と本質を等しくするという。」

「「延喜式」が編纂された10世紀ころには、盛大
な祭の儀式だけは残ったが、その古義は忘れられ
て、稲は単なる神への「供物」となり、天皇は
「供物」としての稲を神にささげる最高の祭司と
解釈されるようになったようだ。
・・・
私(はやし)が「延喜式」をはじめ、多くの
神道書をさがしても、ついに大嘗祭の本義に
近づくことができなかったのは、この理由に
よるのであろう。」

panse280
posted at 19:53

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