2010年03月30日

歌の美しさがわが物になるとは


「本居宣長(上)」(31)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)

<歌の美しさがわが物になるとは>
「(宣長は)言わば歌に強いられたこの面倒な
経験を重ねているうちに、歌の美しさがわが物
になるとは、歌の歴史がわが物になるという、
その事だと悟るに至った、と語るのだ。」

宣長は「新古今集」を重んじた。
「此の道の至極せる処にて、この上なし」

「これだけ見ていれば、真淵の万葉主義に対して、
宣長の新古今主義とよく言われるのも、一応
尤もなように聞えるが、それは当らない。
何故かというと、この宣長の断定は、・・・
「和歌の本然」という、真淵には到底見られない
歴史感覚の上に立っていたからだ。」

歌と当然、進化する、「此の道の至極せる処」
といったのは、その意味で、完全だという意味
ではない。そして、極まるところから衰退が
始まるのである。「和歌の本然」とはそういう
ことである。

panse280
posted at 21:52

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