2010年03月14日

ねがふ心にかなはぬ事あって離婚

「本居宣長(上)」(16)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)

<本居宣長(1730-1801)>
荻生徂徠の没後、2年後、宣長が生まれた。

「宣長の学者生活は、京都遊学から還ってから
死ぬまで、殆ど松坂での研究と講義とに明け暮
れた。
・・・富裕な町人の家に生れた彼が、幼少の頃
から受けた教養は、上方風或は公家風とも呼ぶ
べき、まことに贅沢なものであったが、十九歳
の時、伊勢山田の紙商今井田家の養子となる、
・・・
離縁して今井田家を去った理由について、宣長
自身は、「ねがふ心にかなはぬ事有しによりて」
と言っているだけだが、町人として身を立てる
事の不可能は、既に心中深く刻まれたであろう。」

「宣長が求めたものは、如何に生くべきかという
「道」であった。・・・彼の「雑学」を貫道する
ものは、「之を好み信じ楽しむ」という、・・事
になる。・・・これを、当時の書簡中で「風雅」
と呼んだ・・・」


panse280
posted at 18:05

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