2010年03月10日

俗中之真

「本居宣長(上)」(13)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)

<独-ひとり>
中江藤樹の学問の根幹は「独」である。

「我に在り、自己一人の知る所にして、人の
知らざる所、故にこれを独という」

「貧富、貴賤、禍福、利害、毀誉、得喪、これに
処すること一なり、故にこれを独という」

「聖凡一体、生死息まず、故にこれを独という」

「独り生まれて、独死候身」

「師なしとて苦しまず。道は言語文字の外にある
ものなれば、不文字なるも障り無し。」

「彼(藤樹)の言う「学問の実義」とは、やがて
契沖の言う「俗中之真」となるものだったと言って
よいであろう。」

<熊沢蕃山(1619-1691)>
中江藤樹が40歳で没した時、蕃山29歳。

「家極めて貧にて、独学する事五年なりき。
・・・(中江藤樹の)書をみて、良知の旨を悦び、
・・・これによりて大に心法の力を得たり。
朝夕一所にをる傍輩にも、学問したることを
知られず、書を見ずして、心法を練ること三年なり」
(集義外書)

補記:
中江藤樹以後、新学問は急速に発展し進歩する。
彼の高弟、熊沢蕃山は幕末、藤田東湖、吉田松陰
などに影響を及ぼした。

「後世、荻生徂徠が蕃山を称して百年来の儒者の巨人、
人材は蕃山、学問は仁齋、他は碌々数えるに足らずと
言い、勝海舟が蕃山を称して「儒服を着けた英雄」と
言ったと伝えられているのだが、・・・」
(「大いなる蕃山」茂木光春)

<心法を練る>
仁齋は「語孟」を、契沖は「万葉」、徂徠は「六経」、
真淵は「万葉」、宣長は「古事記」という風に、
学問界の豪傑たちは、みな古典への信を新にする道
を行った。

panse280
posted at 21:42

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