2010年02月28日

医者としての本居宣長も結構忙しかった

「本居宣長(上)」(3)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)

<医者として>
宣長が医者として一番多忙だったのは、
52歳の頃で、講義中にも外診で出かけている。
「病家四百四十八軒、調剤八千百六十五服、
謝礼九十六両余」と「済世録」にある。


<仕官>
加賀藩からも仕官(国学の学頭として)の話
があった。
「・・・本居存心は、最早六十歳に余り、
老衰致候事ゆえ、仕官もさして好まず候、・・」

「ほとんど子供らしいと言ってもいいかも
知れない。先方の料簡などには頓着なく、自分
の都合だけを、自分の言いたい事だけを
言うのは、恐らく彼にとっては、全く自然な
事であった。」

<学ぶ>
「彼は「物まなびの力」だけを信じていた。
・・・確信は持たぬが、意見だけは持っている
人々が、彼の確信のなかに踏み込む事だけは、
決して許さなかった人だ。」

panse280
posted at 21:26

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