2010年02月25日

「ベルグソン論」未完の原因

「小林秀雄全作品・別巻感想(下)」(6)
--未完のベルグソン論--(1958))
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成19.7.10.2刷(新潮社)

<「ベルグソン論」未完の原因>
「「物質と記憶」は、序文に言われているように、
はっきりした二元論である。・・・生活人は、
二元論者ではない。」

「物質と記憶」の序文にこう書かれている。
「この本は、精神と実在と物質の実在とを肯定し、
両者の関係を、記憶という明確な実例によって
規定しようとした。故に、これは、はっきりした
二元論である。」

補記:
小林秀雄はこの二元論との格闘から
この「ベルグソン論」が未完に終わることを
予感しているようだ。
それを決定づけたのが、量子論、量子力学、
相対性理論などである。紙面は、理論物理学の
記述に埋め尽くされてくる。もう常識や直観では
表現できない事態に陥ったのである。

1958年において、これほど理論物理学を漁った
文芸評論家はいないだろう。2010年の今だったら、
小林秀雄は「ベルグソン論」は完成させていた
だろうか?恐らくそれはない。「哲学とは「弾み」
だ、と語ったベルグソンの教えにしたがって、
「本居宣長」へ飛躍したのだ。

シュレディンガーは著書の中で、「量子力学」の
基礎になった波動方程式が、東洋の哲学の諸原理
を記述している、と語り、「精神と物質」には、
次のように記している。
「西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化さ
せることによって解き明かされるだろう。一切の
精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、
それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉で
これを表現するのは適さないということを認めるも
のです。」


panse280
posted at 23:32

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