2010年01月27日

平田国学

「この国のかたち(5)」(6)
司馬遼太郎
ryotarou shiba
1923-1996
2008.6.25.8刷(文春文庫)

---神道(7)---

<平田国学>

神道という用語例は「日本書紀」にある。
「万葉集」巻第十三の三二五二に、

「葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は
神ながら 言挙げせぬ国」とある。

言挙げせぬ国とは、論争しない国、という
意味である。
神々は論じない。山も川も滝もそれぞれ神で
ある以上、川や山が、仏教や儒教のように、
論をなすことはない。

しかし、神道も中世になって能弁に語りはじ
めた。神道という無言のものに思想的な体系
をあたえた最大の功労者は、平田篤胤(1776-1843)
だった。

篤胤(あつたね)は本居宣長のように文献を
綿密に実証することや、大和心を思弁的に展開
することや、物のあわれのような美学的深まり
を示すことはなかった。篤胤は、国学を一挙に
宗教に傾斜させた。「古事記」を分解して組み
立てなおした。

生前、門人は五百五十三人とされたが、死後、
篤胤は、生存中よりも影響をのこした。

やがて明治になり、神社が国家神道に転換した
とき、平田国学は捨てられた。国家神道にする
には、あまりにも宗教臭がつよかったのである。
やはり神道は言挙げ(論争)せぬこそふさわしい
のかもしれない。

panse280
posted at 20:56

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