2010年01月15日

日本主義の祖

「日本の名著12・山鹿素行」
1998.8.25再版(中央公論社)

「吉田松陰」
河上徹太郎1902-1980
tetsutarou kawakami
2009.1.10.1刷(講談社文芸文庫)


<日本主義の祖>
山鹿素行(1622-1685,会津生まれ)は日本主義の祖である。

素行は朱子学(官学)を批判(「聖教要録」)し、播磨
国赤穂藩へ流罪となり、赤穂藩士の教育などを行う。

<赤穂浪士事件>
山鹿素行は九年間赤穂に滞在し、陽明学山鹿学を教授。
このことがなければ、赤穂浪士による吉良邸討ち入り
は起きなかったと断言してもいい。

藩主の不始末によって取り潰された大名家は、それ以前
にも幾らでもある。それを名分として「仇を討つ」とい
う行動に出たのは、後にも先にも赤穂藩士だけである。

明治元年、明治天皇は泉岳寺へ勅使を遣わし、
「汝良雄等、固く主従の義を執り、仇を復して法に死す。
百世の下、人をして感奮興起せしむ。朕深く嘉賞す」と
述べさせた。

吉田松蔭の「武教全書講録」に「赤穂の遺臣亡君の仇を
復したる始末の処置を見ても、大石良雄が先師(素行)
に学びたる所知るべし」また同書に「余、家学を襲し、
幼年より山鹿先師の書を読み、今日に至る」とある。
松蔭が山鹿素行の著書の中で最も重んじたのが「武教全書」
であった。
「武教全書講録」の始めには「道を知りたいというなら、
山鹿素行先生の教戒をうけいれなさい。」「俗儒どもが
世を挙げて外国を貴び、わが国を賤しめているただ中に
生まれながら、たった一人、卓然として異説を排し、上古
の神聖の道を明らかにして、「中朝事実」をあらわされた
深い御意志のあるところを考えれば、知られるのである。」
松蔭は山鹿素行を「中朝事実」の視角からながめて、最も
高い評価を与えているのである。

<「中朝事実」素行48歳>
独自の武士道と、国学に基づいて、日本の誇りを説いた。
「中朝」とは世界の中心の王朝の意味であり、日本を指し
ている。「聖人の教えが実現している」日本という考えは
素行が終に行き着いた結論であった。

(「日本の名著12・山鹿素行」の「配所残筆」に「中朝
事実」のあらましが記されている)

素行の思想を継承した代表的人物が吉田松陰と乃木希典である。

panse280
posted at 20:50

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字