2010年01月13日

自死という生き方

「自死という生き方」
須原一秀
kazuhide suhara
1940-2006
2009.12.13.1刷(双葉社)

<覚悟して逝った哲学者>
須原氏は大学非常勤講師(社会思想研究家)である。
2006年4月、自宅近くの神社の裏山で縊死(首つり)
した。頸動脈は自ら、刃物で斬り裂いていた。

彼の哲学的事業としての自死の記録として、「新葉隠」
つまり「自死という生き方」を著す。

「「死」を晴朗に健全に受け入れるための「心と体の
体制」はどのようにして整えることができるか・・・
その結果が本書であり、それに付随する私の行動である。
少しでも有意義あ哲学的事業であれば、と今は祈って
いる。」
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目次
1 三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス、それぞれの
不可解
2 なぜ彼らは死んだのか?
3 「未練」と「苦痛」と「恐怖」
4 死の能動的受容と受動的受容
5 自然死と事故死と人工死
6 武士道と老人道
7 弊害について
8 キューブラー・ロス(キリスト教徒の苦境)
9 補助的考察
10 雑感と日常
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老いをさらす前に死にたい。
人の迷惑になりたくない。
追い詰められて死にたくない。
健康の絶頂で死にたい。
・・・
誰でも一度は考えることである。そして彼は実行した。
彼は三十代の後半から知人に「私の人生は六十五歳まで
である」と何度も明言していた。
彼は死を前にしてもスポーツジムに通い、家族や知人と談笑し、すこぶる健康な状態で計画どおりに死んでいった。

<葉隠的老人道のすすめ>
「「葉隠的老人道」を提案したい。「老人道」とは
何時でも自死を決行する覚悟を身につけた上で、そして
出来れば「死にたがり」になった上で、日々生きること
であり、このような態勢を整えたときにはじめて人生を
肯定できるのであるし、また老年期を明るく積極的に
生きることもできると考えているのである。」

補記:須原氏の「葉隠的老人道」は良い。しかし、
「葉隠」の山本常朝は殉死が禁じられていたとはいえ
自死しなかった。これが重要なのである。それと、
自死の仕方で縊死(首つり)というのは美に欠ける。

panse280
posted at 22:56

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