2009年10月31日

福沢諭吉の「帝室論」

林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(22)
昭和44(1969)年2月10日初版(日本教文社)

<福沢諭吉の「帝室論」>
「我が帝室は日本人の精神を収攬(しゅうらん)する
の中心なり。その功徳至大なりといふべし。国会の
政府は二様の政党相争ひて、火の如く水の如く。盛夏
の如く厳冬の如くならんといへども、帝室はひとり
万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を
催すべし」

「帝室は偏なく党なく、政党のいづれを捨てず、また
いづれをも援けず。
・・・
内部の精神を制してその心を収攬するの引力は、ひとり
帝室の中心にあって存するものと知るべし」

「福沢諭吉は明治十四年の政変によって大隈重信と共に
追放された形になっていたので、憲法の起草には参与
しなかった。伊藤博文によって起草された明治憲法には
天皇大権としての「統帥権の独立」があった。福沢は
それに賛成している。明治憲法にはいろいろと不満を
持ったかもしれぬが、全体としては自分の理想の実現
とみた。
しかし、この「統帥権の独立」が天皇機関説排撃の
論拠の一つとなり、結果として「軍部の独走」と
「官僚の独善」をもたらしたことは、大東亜戦争に至る
昭和史が示すとおりである。」


panse280
posted at 19:19

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字