2009年10月24日

「代表的日本人」(内村鑑三)

林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(15)
昭和44(1969)年2月10日初版(日本教文社)

<西郷隆盛と武士の精神(2)>
福沢諭吉の「丁丑(ていちゅう)公論」の中で、

「福沢ははっきりと「西郷は官員(官吏)の敵
であって、決して日本人民の敵ではない」と
言っている。「西郷を恐れ憎んだのは専制政府の
官員どもであって、人民は西郷を憎まないどころ
か、大いに敬愛し、大いに期待し、いまでも慕って
いる。もし仮に西郷にあの時政権を取らせても、
日本が封建時代に逆転するとか、あるいは武力
専制国家ができたとかいうことはあり得ない」と
論証し強調している。」

内村鑑三は「代表的日本人」の中で、

「西郷という人は孤独の中に住み、常に己の内心
と対決していた」と言い、「敬天愛人」の思想を
高く評価して、「西郷は、ただ征服のためにのみ
戦争を始むるのにはあまりにも道徳家であった」
と言い、「維新の功臣たちが立ち止まろうと欲した
ところから、西郷は出発しようと欲した。そして、
明治十年の破裂と悲劇が生まれたのである」と
言っている。西郷が代表したのは日本の武士の
精神であって、封建的な武士階級ではなかった。
・・・
岩倉具視を始めとする”内治派”によって、・・・
はなはだしい堕弱、断乎たる行動に対する恐怖、
明白なる正義を犠牲にした悪平等の愛好など、
まことの武士の慨嘆に堪(た)えない多くの悪習
が生まれたのである。”文明とは道のあまねく
行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服
の美麗、外観の浮華を言うに非ず”これが西郷の
文明の定義であった。西郷の言うが如き意味の
文明は彼の時代以後多くの進歩をしなかったの
ではないか」これが西郷の精神を継ぐ内村鑑三の
怒りである。」

同じことを昭和に入って北一輝は言っている。
大川周明の回想によれば、

「北君は、大西郷の西南の変をもって反動なりと
する一般史学者とは全く反対に、これをもって
維新革命の逆転または不徹底に対する第二革命と
とした。そして、この第二革命の失敗によって、
日本は黄金大名(財閥)の連邦政府と、これを
支持する徳川そのままの官僚制度政治の実現を
招いた。」


panse280
posted at 20:09

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