2009年10月21日

神道ーだれでも神様、祓って落着

林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(12)
昭和44(1969)年2月10日初版(日本教文社)

<神道(1)だれでも神様、祓って落着>
「神道は実に明るい宗教でありまして、すぐれた
ものは何でも神様として尊敬する。本居宣長は
「すぐれて徳高きものは、すべて神だ。自然でも、
人間でも、外国から来た思想や宗教でも、すぐれて
徳高ければ神として崇める。人間でもいいことを
した人、立派なことをした人はそのまま神になれる」
という意味のことを書いていますが、その一番いい
例は靖国神社です。私たちの誰でも国のために死ねば
靖国の神になる。単純といえば単純ですけれど、非常
にはっきりしている。あちこちにある神社の御神体
を調べてみますと、その地方でいいことをした人とか、
あるいは人のために尽くした人とか、二宮尊徳でも
豊臣秀吉でも、そこらの名もなき人でも、何かいい
ことをした人は神様になっている。
・・・
神道というのは原始宗教でありますから、思想の
体系なんかないんですが、仏教とか儒教というものが
すぐれた思想であり宗教であると思うと、胸をひろげて
これを受け入れる。
・・・
生活態度としては、汚れを祓(はら)えばすむので
ありまして、キリスト教と違って、絶対神もなければ
原罪の意識もない。
・・・
悪いこと、汚れたことをすれば、川の中に入って、
汚れを祓ってくればそれですむのです。だから
日本人には西洋人のような激烈なノイローゼはない
と三島由紀夫君は言っています。」

panse280
posted at 21:08

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