2009年08月18日

キリスト教

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウエルの対話」(10)
(相原信作訳編)アテネ文庫昭和27年3月30日再版

<ショウペンハウエルの
フラウエンシュテットとの対話1846-1847年>(8)

<キリスト教>(1)
「キリストについてはショウペンハウエルは
ライマールス(1694-1768)の「イエスとその弟子
たちの目的について」に賛意を表した。
それによるとメシアはもともと現世的なもので、
政治的な期待をもたれたものだが、それが満足され
ず十字にかかってから使徒たちによって天上的な
ものに切り換えられたのである。
歴史上のキリストは、ユダヤ人の王たらんと欲した
デマゴーグ(煽動的民衆指導者)に過ぎない。
メシアという言葉は油をそそがれた者すなわち王を
意味しているので、人々が十字架の上に「ユダヤ人
の王なるナザレ人イエス」と書き付けたというのは
理由のないことではない。このような意図が失敗
に帰した後、他の人々はイエスなる人物に仏教的観念
を結びつけ、彼の物語に仏教道徳を附加したのだ。
こうして今やキリストは生きんとする意志の否定を
表現する者となり、神の怒りから我々を救う(それは
ユダヤ的な考え方だが)というよりはむしろ、悪魔
の力すなわち生きんとする意志の肯定から、我々を
解放した人と成ったというのである。それで
キリスト教の倫理内容はいはば仏教的なものなの
である。」

補記:生きんとする意志の否定を表現する者となった
キリストは、ここでショウペンハウエルの学説と
一致することになる。そして、仏教とも重なるのである。

panse280
posted at 19:56

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