2009年08月11日
フラウエンシュテットとの対話
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウエルの対話」(3)
(相原信作訳編)アテネ文庫昭和27年3月30日再版
<ショウペンハウエルの
フラウエンシュテットとの対話1846-1847年>(1)
ショウペンハウエルが無名の時から終生彼を
支持したフラウエンシュテットがショウペンハ
ウエル(当時58,9歳)を初めて訪問したときのもの。
フラウエンシュテットが質問する。
「意志は主人である。知性は下僕である。
しかし下僕である知性が認識の頂点において
意志を凌駕してしまう。こんなことがありうるのか。」
ショウペンハウエルは答える。
「一人の旅人が提灯を片手に道を歩いてゆく。
突然彼は深淵に傍に来たことを見出し、引き返す。
旅人は生への意志であり、提灯は知性というわけだ。
この知性の光によって意志は自分が邪路に踏み迷い
深淵の傍に立っていることを見出し、そこで踵を
まわして引き返すのである。」
arthur schopenhauer
「ショウペンハウエルの対話」(3)
(相原信作訳編)アテネ文庫昭和27年3月30日再版
<ショウペンハウエルの
フラウエンシュテットとの対話1846-1847年>(1)
ショウペンハウエルが無名の時から終生彼を
支持したフラウエンシュテットがショウペンハ
ウエル(当時58,9歳)を初めて訪問したときのもの。
フラウエンシュテットが質問する。
「意志は主人である。知性は下僕である。
しかし下僕である知性が認識の頂点において
意志を凌駕してしまう。こんなことがありうるのか。」
ショウペンハウエルは答える。
「一人の旅人が提灯を片手に道を歩いてゆく。
突然彼は深淵に傍に来たことを見出し、引き返す。
旅人は生への意志であり、提灯は知性というわけだ。
この知性の光によって意志は自分が邪路に踏み迷い
深淵の傍に立っていることを見出し、そこで踵を
まわして引き返すのである。」