2009年08月04日

ゲーテの記念碑計画意見書

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集別巻」(419)
--「生涯と思想」--(15)

「身近に接したショーペンハウアー,1922」
(ヴィルヘルム・グヴィナー)より(7)

<ゲーテの記念碑計画意見書>
ゲーテの胸像、碑文にはドイツ語とラテン語で
「ドイツ人の有する詩人に故郷の町これを献ず。
1838年」という碑文を彫り込む計画であった。

「しかし絶対にこれ以上は一字も記さぬことです。
この碑銘はゲーテの名をあげずにゲーテの名を当然
の前提とするものですが、それによって、いかに
言葉を尽くした讃辞よりもゲーテの名声を雄弁に
語る無限の力を所有することになるからです。
というのも、その碑文はゲーテが唯一なる人、比類
なき人であり、いかなる人も知らなければならぬ人、
いかなる時代も忘れてはならぬ人、いかなる後続の
者も決して凌駕することのできぬ人であることを
述べているからなのです。
またしたがって、この簡潔な文体の碑銘は崇高で
あって見る者の心に畏敬の念を喚び起こす力があり、
しかも僅か数語からなる寂寥感あふれた碑銘は、
記念像そのものの厳粛な単純性に対応することに
なります。すなわち、その記念像は単なる胸像で
あって、手足やその姿勢を通じて人間ゲーテを想わ
せるものではなく、ただその高貴な容貌を通じて
不滅となった彼の精神を想起せしめるだけの単純
なものなのです。おそらくは記念像が称えるべき
その当の人の名を黙して語らぬという先例はいまだ
かってなかったように思われます。したがって、
われわれは唯一無比の人を唯一無比の方法で称賛
することにもなります。
私はあえて申しますが、いかなる内容の碑銘であって
も、他の碑銘はすべてこの予定された碑銘に比べれば、
いかにも弱々しい皮相浅薄な文章に見えることで
ありましょう。だが、もし碑銘に中に彼の名をつけ
加えるならば、一切は終わりです。そうなると
誰もが「見給え、諸君、ここにまた一人、同じよ
うな人間がいる」と考えることになってしまい
ます。」

追記;ショーペンハウアーの墓に影響されて
墓をこしらえた森鴎外なら上記の「ゲーテ記念碑
計画意見書」には膝をたたいて納得するでしょう。

panse280
posted at 20:29

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