2009年07月28日

日本におけるショーペンハウアー

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集別巻」(412)
--「生涯と思想」--(15)

「日本におけるショーペンハウアー」
(茅野良男)より

<ケーベル先生>
ハルトマンとの世話で明治二十六年、来任。
ケーベル先生の講義は明治二十六年九月十五日に
開始され、大正三年まで続いた。
主な聴講者は、
西田幾多郎、姉崎正治、高山樗牛、波多野精一、
阿部次郎、田辺元、安部能成、高橋里美、
九鬼周造、和辻哲郎、等々

<西田幾多郎>
明治三十年そして翌年の日記の見返しの裏には、
読書すべきものとして、ショーペンハウアーと
ハルトマンの名前が記されていた。
明治三十五年十月二十七日鈴木大拙あての手紙
には、「余常にショーペンハウアーの意志を根本
となす説およびそのreine Anschauung の説は
ヘーゲルなどの Intellectを主とする説より
はるかに趣味ありかつdeepなりと思うがいかん」

<倉田百三>
「人性の中核はいかにしてもよく生きんとする
意志あるいは衝動、さらに言を逞しくすれば一種
の自然力であるらしい。私はショーペンハウアー
と共にこの真理を信仰し、謳歌し、主張したい」

<三木清>
「私は幾夜彼(ショーペンハウアー)の書の上に
涙したことであろう」

<長輿善郎>
「思想として僕に最も深く影響している者は
ショーペンハウアーかもしれない」

<萩原朔太郎>
「青猫」を「書いた当時、私はショーペンハウアー
に惑溺していたので、あの意志否定の哲学に本質
している、厭世的な無為のアンニュイ、小乗仏教的
な寂滅為楽の厭世観が、自ら詩の情想の底に漂って
いる。」

<斎藤茂吉>
「あやしみて人はおもふな年老いし
ショオペンハウエル笛ふきしかど」

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注:ケーベル先生
ケーベル先生はピアニストを目指してモスクワの音楽院
に入り、チャイコフスキーらの指導を受けた。その後、
哲学に転じた。ハイデルベルク大学での卒論は「ショウペン
ハウアーの解脱論」

「硝子戸の中」(夏目漱石)より
「先生の金銭上の考えも、まったく西洋人とは思われない
くらい無頓着(むとんじゃく)である。・・・先生にいちばん
大事なものは、人と人を結びつける愛と情けだけである。
ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好き
らしくみえる。」
(ケーベル先生の告別)

「ケーベル先生」(夏目漱石)
「文科大學へ行つて、此處で一番人格の高い骸は誰だと聞い
たら、百人の學生が九十人迄は、數ある日本の骸の名を口
にする前に、まづフォン・ケーベルと答へるだらう。」
(明治四四)
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panse280
posted at 20:42

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