2009年07月20日

トーマス・マンと「意志と表象としての世界」

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集別巻」(404)
--「生涯と思想」--(15)


「ショーペンハウアー,1938」
(トーマス・マン)より(13)

<「意志と表象としての世界」という本について>
「きわめて実際的な表題であるが、意志・表象・
世界という三語の中には、この本の内容ばかりで
なく、それを書いた人間までも、その雄渾な暗さ
と同じように力に満ちた明るさ、その深い感性と
厳格で純粋な精神性、その情熱と救済への衝迫の
ままあますところなく表現されている。このよう
な書物は、まさに稀有の現象だといってよい。
表題の中にこのうえなく簡潔な定詞としてまとめ
られ、そのページにもゆきわたっているその思想
は、終始一貫ただひとつであり、それが四つの章
、というより、それが組み立てられているいわば
交響楽の四楽章、に分かれて完全に、またあらゆ
る面から展開されている。それが語り教えている
ことそのものであることによって、またそれを実
行することによって、みずからの中に安立し、み
ずからによって満たされ、みずからを裏書きして
いる書物である。それは、そのページを開こうが、
そこに全的に存在しているけれども、時間と空間
の中でみずからを実現するためには、活字にして
千三百ページ以上におよび、二万五千行にわたって
展開される多岐多様な現象形態を必要としている。
とはいえ、それは、実際には一つの「静止せる今」
その思想の静止している現在なのであって、
「西東詩集」(ゲーテ)からのつぎの四行は、なに
にもましてこの本にぴったりあてはまる。

おんみの歌は 星空のように回転する
初めと終わりは いつもおなじものであり
中間がもたらすものも あきらかに
終わりに残り 初めにあったものだ

それは、この詩句がうたっているような宇宙的な
完結性と包括的な思想の力とをそなえた作品で
あって、この本を読むと、一種独特な経験をする。
すなわち、しばらくこの本に没頭していると、そ
の合間や直後に読む他の全てのものが、いや、
どんなものでも、なにかよそよそしく、学がなく、
不正確で、恣意的に思えてならない。真理による
訓練が足りないように思えてならない。真理による
訓練・・・いったい、この本は、それほど真実で
あるのか。そのとうり、最高の、有無を言わさぬ
誠実さと率直さという意味において真実である。」

panse280
posted at 21:01

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