2009年07月07日
芸術家たちの哲学として
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集別巻」(392)
--「生涯と思想」--(15)
「ショーペンハウアー,1938」
(トーマス・マン)より(1)
<芸術家たちの哲学として>
「ショーペンハウアーの哲学は、常にきわめて
芸術的であると、いや、それどころか、生粋の
芸術哲学であると感じられてきた。それは、この
哲学が高度に、また大部分が芸術の哲学である、
実際、この哲学の「美学」に関する部分は、全著作
の四分の一を占めているからというのでもない。
また、この哲学の構成がそれ以前のドイツの哲学
には類をみなかったほどの完璧な明晰性、透明さ、
緊密さをもち、その叙述が力づよさと優雅と適確さ
をそなえ、情熱的な機知に富み、文体の古典的な
純粋さと壮大で明朗な厳格さを有しているからと
いうのでもない。これら全ての特徴は、単に外面
に現れた「現象」であるにすぎぬ。この思想家の
本質、その最奥の本性の必然的で生得的な美的
表現にすぎない。この本性は、緊張に満ち、情念的
で、衝動と精神、情熱と救済という激しい対立の
間を揺れ動いていて、つまりはダイナミックで
芸術的な本性である。このような本性は、美的
形式の中でしか、また、みずからの体験と受苦の
力によって説得する個人的な真理創造としてしか、
おのれを示現することができないのだ。
こういうわけで、この哲学は、とりわけ芸術家たち
や芸術の精通者たちの間に、みずからの賛嘆者、
証人、熱狂的な信奉者を見いだしてきた。」
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集別巻」(392)
--「生涯と思想」--(15)
「ショーペンハウアー,1938」
(トーマス・マン)より(1)
<芸術家たちの哲学として>
「ショーペンハウアーの哲学は、常にきわめて
芸術的であると、いや、それどころか、生粋の
芸術哲学であると感じられてきた。それは、この
哲学が高度に、また大部分が芸術の哲学である、
実際、この哲学の「美学」に関する部分は、全著作
の四分の一を占めているからというのでもない。
また、この哲学の構成がそれ以前のドイツの哲学
には類をみなかったほどの完璧な明晰性、透明さ、
緊密さをもち、その叙述が力づよさと優雅と適確さ
をそなえ、情熱的な機知に富み、文体の古典的な
純粋さと壮大で明朗な厳格さを有しているからと
いうのでもない。これら全ての特徴は、単に外面
に現れた「現象」であるにすぎぬ。この思想家の
本質、その最奥の本性の必然的で生得的な美的
表現にすぎない。この本性は、緊張に満ち、情念的
で、衝動と精神、情熱と救済という激しい対立の
間を揺れ動いていて、つまりはダイナミックで
芸術的な本性である。このような本性は、美的
形式の中でしか、また、みずからの体験と受苦の
力によって説得する個人的な真理創造としてしか、
おのれを示現することができないのだ。
こういうわけで、この哲学は、とりわけ芸術家たち
や芸術の精通者たちの間に、みずからの賛嘆者、
証人、熱狂的な信奉者を見いだしてきた。」