2009年05月16日
あいまいな表現は馬鹿の印
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(14)」(340)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(13)
--Parerga und Paralipomena--
<話すように書いてはいけない>
「話すとおりにそのまま書こうとするのは、誤った
努力である。むしろ全ての文体は、一脈、碑銘の
文体に通じるものがなければならぬ。なんといって
も碑銘の文体こそ、一切の文体の祖先だからだ。
だから、話すとおりに書くことは、その逆、すなわ
ち書くとおりに話そうとするのと同様に、しりぞけ
なければならない。」
<あいまいな表現は馬鹿の印>
「表現があいまいで明確さを欠くということは、いつ
いかなる場合でも、わるい徴候だ。なぜならそれは
九分九厘まで思想が明確でないために起こってくる
のであり、それはまたもともとその思想が不適当で
矛盾しており、つまり正しくないためにそうなるの
だからである。」
(第283節)
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(14)」(340)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(13)
--Parerga und Paralipomena--
<話すように書いてはいけない>
「話すとおりにそのまま書こうとするのは、誤った
努力である。むしろ全ての文体は、一脈、碑銘の
文体に通じるものがなければならぬ。なんといって
も碑銘の文体こそ、一切の文体の祖先だからだ。
だから、話すとおりに書くことは、その逆、すなわ
ち書くとおりに話そうとするのと同様に、しりぞけ
なければならない。」
<あいまいな表現は馬鹿の印>
「表現があいまいで明確さを欠くということは、いつ
いかなる場合でも、わるい徴候だ。なぜならそれは
九分九厘まで思想が明確でないために起こってくる
のであり、それはまたもともとその思想が不適当で
矛盾しており、つまり正しくないためにそうなるの
だからである。」
(第283節)