2009年04月27日

オペラ批判

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(13)」(322)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(39)
--Parerga und Paralipomena--

<オペラ批判>
「グランド・オペラはもともと純粋な芸術感覚の
所産ではなくて、いろいろな手段を重ねたり、全
く多様な印象を同時に与えたり、質・量ともに
高めることによって効果を強化するといった事で、
美的享受を高めようという、いくらか野蛮な考え方
の所産だ。
実際は、あらゆる芸術のなかで最も強力なこの音楽
は、そういう余計なものを借りずとも、独力で、感
受性のある人たちの心を完璧に満たしうるのだ。
それどころか、その最高の作品を、それにふさわしく
受けとめて鑑賞するには、精神の集中・統一が要求
されるのであって、音楽の語りかけるあの信じがた
いほどに切々とした言葉を完全に理解するためには、
作曲に帰依・没入しなければならぬのである。
ところがオペラの場合はまるで反対で、あの複雑
きわまるオペラ音楽を耳にしながら、絢爛多彩な
舞台、幻想的な背景、光と色彩の活発な印象と
いったことによって、耳と同時に目をとおして
全ては精神に殺到するのであり、そのうえ脚本の
物語などにも頭を使わねばならぬのだ。
こうした全ての事のために、精神はそらされ、散ら
され、ぼんやりして、音の奏でるあの神聖で神秘的
な、心のこもった言葉を受け付けなくなってしまう
のだ。すべてのお膳立ては、音楽の目的を達成する
には、ちょうど正反対の働きをしているわけだ。
そこへさらにつけ加わるのがバレエという美的享受
よりも好色をねらった出し物で、なにぶんその芸術
手段が人間に限られているから単調で、やがてひど
く退屈となり、根も精も尽き果てるのだ。とりわけ
くだらない同じダンス音楽を長々と、ときには
十五分間も繰り返し聞かされるものだから、音楽
のセンスもなにもかもくたびれすりきれてしまい、
その次に厳粛で高級な音楽があっても、てんで
受け付けなくなってしまうのである。」

panse280
posted at 19:55

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