2009年04月18日

キリスト教の真髄

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(13)」(313)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(30)
--Parerga und Paralipomena--

<キリスト教の真髄>
「キリスト教の真髄は、アダムとイヴの堕落・原罪
の教えである。すなわち、われわれの自然の状態は
度し難く、自然的人間は堕落しているという教えで
あり、これに救世主による代理と贖罪が結びつき、
われわれはこの救世主に対する信仰によって贖罪に
あずかるというのである。」

キリスト教の根本性格は、アウグスティヌス、ルター、
メランヒトンがきわめて正しく把握しているが
現代の合理主義者たちはペラギウス派の亜流として
利己主義的・楽天観的なユダヤ教に還元しようと
している。
こうした合理主義者たちは誠実な人種であるが、
平板な頭しかもっていない連中だ。彼等には新約
聖書の神話の深い意味など、見当もつかない。

<宗教の根本的差異>
「もろもろの宗教の根本的差異は、それが楽天観で
あるか厭世観であるかという点にあるのであって、
一神論であるか多神論であるか、・・・汎神論である
か、無神論であるかといった点にあるのではない。
だからこそ、旧約聖書と新約聖書はたがいに正反対
なのであって、これを結び合わせると一個奇怪な
ケンタウロス(半人半馬)ができあがるのだ。つま
り旧約聖書は楽天観、新約聖書はあ厭世観だからだ。」

「音楽にたとえれば旧約は長調、新約は短調だ。」

panse280
posted at 22:01

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