2009年03月26日

自分が滅んでも自分は滅びない

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(13)」(291)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(8)
--Parerga und Paralipomena--

<自分が滅んでも自分は滅びない>
「自分の生涯の、とうに過ぎ去ったことを、まざまざ
と現前させ、非常に生き生きと現在のことに出来る人
は、他の人たちよりもはっきりと、全ての時間におけ
る今の同一性を自覚する。
・・・
この意識によって、われわれは、たちまち過ぎ去りゆく
今を、持続する唯一のものとして把握するのだ。
さてこのような直観的な仕方で、現在なるものがその
源泉をわれわれの内に持っているのであり、外部から
ではなく内部から湧きでるものだ、ということに気づ
いた人は、自分自身の本質が破壊できない不滅性を
もっていることを疑うことなど、できるものではない
のだ。そういう人は、自分が死ねば、客観的世界は、
その世界の展開の媒体である知性もろとも、彼にとって
は消滅するけれども、このことは彼の存在にとっては
なんの影響もないということを把握するであろう。
なぜなら、内にある現実性は、外部の現実性と劣らない
からだ。彼はすっかりのみこんだうえでこう言うだ
ろう。「われは、かってあり、現にあり、またあるで
あろうところの全てのものである」と。」
(第百三十九節)

注:「われは、かってあり、現にあり、またあるで
あろうところの全てのものである」はエジプトの
ザーイスにあるイーシス神殿に掲げられている銘。

<異論>
上記の事を認めない人は、次のような異論を唱える
にちがいない。

「時間は純粋に客観的で実在的なものであり、私とは
全く無関係に存在している。私はたまたまその中へ
投げ込まれ、その小さな部分を手にいれ、こうして一種
の通り過ぎる現実性に到達しただけなのだ。私以前の
無数の人達もそういうぐあいだった。彼等は今はもう
存在せず、無になっている。私もまたじきに無に帰する
だろう。これに反し時間は、これこそ実在的なもので、
私がいなくなっても、どんどん先へ進んでゆくのだ」と。

こうような見解は根本的に誤っており、それどころか
不条理である。

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参考:
宇宙からすべての物質が消滅したら、時間と空間が残ると
かっては信じられていました(アインシュタイン)
When all material became extinct from the universe,
it believed that time and space were left long ago.


聖徳太子をはじめ、目覚めた意識のある人たちは「上記」
のように生と死を認識していた。しかし、大衆は現在でも、
「異論」のように生と死を認識している。

panse280
posted at 20:32

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