2009年01月04日

千里眼はカント哲学の証明である

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(11)」(214)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(6)
--Parerga und Paralipomena--

--視霊とこれに関連するものについての研究--

<千里眼はカント哲学の証明である>
「夢遊症患者の千里眼は、何百ものきわめて信用の
おける証言の一致によって確かめられるまで、全く
信じられなかった。
・・・
(しかしこれらは)客観的世界が単なる脳の現象で
あるということを十分に考えてみるならば、少なく
とも全く理解できないものではなくなる。
なぜなら空間、時間、それに因果律に(脳の機能と
して)依存している客観的世界の秩序と合法性は、
夢遊症の透視にあってはある程度除去されるから
である。
・・・・
つまり物自体は、遠近や過去、現在それに未来の
間の区別を知らないということを理解する。
・・・・
あらゆる予言術は、それが夢の中のものでも、夢
遊症患者の予言でも、千里眼でも、その他どんな
ものでも、認識を時間の制約から解放することに
ある。
・・・・
物自体は、この世界のすべての複雑かつ多彩な
おもちゃに運動を与える機構の始動源である。
・・・
もし私に、透視能力のある夢遊症患者が未来を
はるか以前にしかもはっきりと伝える方式が
わかったとすれば、私は、全てのものを流出させ
る背後に隠された起点としての機構(からくり)に
彼らが到達したと考えるであろう。」

「動物磁気、おさすり療法、魔術、千里眼、正夢の
お告げ、視霊、それにありとあらゆる種類の幻覚
はいずれも似たような現象であり、一つの幹から
分かれたもろもろの枝である。そしてこれらの
現象は、空間・時間の法則と因果律をもととする
自然とは全く別の事物の秩序に依存するという連関
を確実に、間違いなく示している。
・・・
すなわちこうした変化をもたらすものは、独特の
方式によって出現し、したがって個人を超越して
活動する意志(私注:意志=物自体)のしわざである。」

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(広辞苑)物自体:
カント哲学で、認識主観に現れた現象としての物
ではなくて、認識主観とは独立にそれ自体として
存在すると考えられた物。経験の彼方にありながら、
現象の究極原因・真実在と考えられるもの。
物自体は、考えることはできても認識することは
できない。
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panse280
posted at 18:54

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