2008年11月24日

カントの道徳性の基礎の欠点

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(9)」(180)
--「倫理学の二つの根本問題」--(5)
--学士院懸賞論文1840--道徳の基礎について--

<愛の神エロースの親>
「プラトンの「饗宴」によれば、物乞いにやってきた
ペニアー(貧困)女神と祝宴の後酔いつぶれている
ポロス(冨、豊富)神との結婚から、愛の神エロース
が生まれたとされる。」

<カントの道徳性の基礎の欠点は、現実的内容を欠くこ
とである。>

「理性的と呼ばれるのは、常に直観的印象ではなく、思想
や概念によって導かれ、だからたえず思慮深く、矛盾なく、
冷静に物事にあたる人のことである。そして、このような
行為は、常に理性的行為といわれる。しかし、このような
行為は、公正や人間愛を決して包含してはいない。
むしろ、われわれは、極度に理性的に、つまり思慮深く、
冷静に、矛盾なく、計画的に、組織的に事に当たりつつ、
しかも最高度に利己的な、最高度に不正な、さらには
この上なく無道な格率に従うことができる。
だから、カント以前には、だれ一人として、公正な、有徳
な、高潔な行為を理性的行為と同一視しようなどと思いつ
いたことはなかった。
・・・・
徳が純粋理性から生じるとするカント学説においてのみ、
・・・有徳であることと理性的であることとが同一なの
である。
だが、理性的であることは、悪徳的であることと非常に
よく合致し、それどころか、大きな、徹底した犯罪は、
その合致によってはじめて可能になるのである。

同様に、理性的でない事は、高潔であることと極めてよく
共存し、例えば、明日になれば自分がその人以上に切実に
必要とするであろうものを、今日困っている人に与えて
しまったり、債権者が待っている金銭を気がついてみたら
困窮者に与えてしまっていたり、こういう例は、枚挙に
いとまがないほどである。」

panse280
posted at 19:02

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