2008年11月23日
カント倫理学の功績と欠陥
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(9)」(179)
--「倫理学の二つの根本問題」--(4)
--学士院懸賞論文1840--道徳の基礎について--
<この論文の目論見>
「私のもくろみは、カントの実践理性や定言的命令が
まったく不当な、無根拠な、捏造された仮定にすぎない
ことを証明し、カントの倫理学もまた堅個な基礎を欠いて
いることを立証することである。」
「カントは、倫理学の分野では、倫理学をあらゆる幸福
主義から純化したという大きな功績をになっている。
古代人の倫理学は、幸福説であり、近代人の倫理学は、
たいてい救済の教義だった。古代人は、徳と幸福とが
同一であることを証明しようとした。しかし、徳と
幸福とは、どのように重ねてみても決して重なりあわない
二つの図形のようなものであった。・・・
古代人の中で、プラトンだけは例外である。彼の倫理学
は、幸福主義ではない。が、神秘的になる。」
カントは神学的道徳の命令的形式をだまって検証もしな
いで倫理学に借用しておいて、そのあとで、つまり論述
の最後の所で自分の道徳論から再び神学を、有名な道徳
神学を展開するという安易な遊びを企てたのである。
<理論哲学を実践哲学に転用した誤り>>
「ときおり見かけるように、ある薬を使用して見事な
成果をおさめると、その後はほとんど全ての病気に同じ
薬ばかり投与する医師がいるものだが、私は、カントを
そんな医師になぞらえたい。彼は、人間の認識における
ア・プリオリなものをア・ポステリオリなものから区別
することによって、形而上学が誇りうる、光輝燦然たる、
成果の多大な発見をなしとげた。彼がこの方法と区別と
をいたるところに応用しようとしても、なんら不思議で
はない。」
注:広辞苑より
ア・プリオリ:先験的な(経験に先立って与えられてい
る認識や概念)
ア・ポステリオリ:後験的な(経験を通じて得られる人
認識や概念)
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(9)」(179)
--「倫理学の二つの根本問題」--(4)
--学士院懸賞論文1840--道徳の基礎について--
<この論文の目論見>
「私のもくろみは、カントの実践理性や定言的命令が
まったく不当な、無根拠な、捏造された仮定にすぎない
ことを証明し、カントの倫理学もまた堅個な基礎を欠いて
いることを立証することである。」
「カントは、倫理学の分野では、倫理学をあらゆる幸福
主義から純化したという大きな功績をになっている。
古代人の倫理学は、幸福説であり、近代人の倫理学は、
たいてい救済の教義だった。古代人は、徳と幸福とが
同一であることを証明しようとした。しかし、徳と
幸福とは、どのように重ねてみても決して重なりあわない
二つの図形のようなものであった。・・・
古代人の中で、プラトンだけは例外である。彼の倫理学
は、幸福主義ではない。が、神秘的になる。」
カントは神学的道徳の命令的形式をだまって検証もしな
いで倫理学に借用しておいて、そのあとで、つまり論述
の最後の所で自分の道徳論から再び神学を、有名な道徳
神学を展開するという安易な遊びを企てたのである。
<理論哲学を実践哲学に転用した誤り>>
「ときおり見かけるように、ある薬を使用して見事な
成果をおさめると、その後はほとんど全ての病気に同じ
薬ばかり投与する医師がいるものだが、私は、カントを
そんな医師になぞらえたい。彼は、人間の認識における
ア・プリオリなものをア・ポステリオリなものから区別
することによって、形而上学が誇りうる、光輝燦然たる、
成果の多大な発見をなしとげた。彼がこの方法と区別と
をいたるところに応用しようとしても、なんら不思議で
はない。」
注:広辞苑より
ア・プリオリ:先験的な(経験に先立って与えられてい
る認識や概念)
ア・ポステリオリ:後験的な(経験を通じて得られる人
認識や概念)