2008年11月18日

ショーペンハウアーと日本

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(8)」(174)
--「自然における意志について」--(1)

<ショーペンハウアーと日本(斎藤信治)>
--全集8の付録冊子より--

<鴎外>
「おそらくわが国におけるショーペンハウアーの厭世哲学
の最初の理解者は、・・・鴎外だったのではなかろうか。」

<「意志と現識としての世界(明治43年)」>
「ショーペンハウアーが一般にわが国の人達によって
親しまれるようになったのは、姉崎正治訳の「意志と
現識としての世界(明治43年)」によってである。」

<同上本の序言より>
「ケーベル先生についてショウペンハウエルを読み始め
たのは、すでに早十六、七年の昔。その後ドイセン先生に
ついて、梵語や印度哲学を研究するとともに始終きいた
のも、同じくショウペンハウエルの哲学。ワグネルの音楽
に入神し、ニーチェの文に恍惚たる毎に、背後には常に
ショウペンハウエルの思想が高く聳(そび)え、仏教の
研究にも、その思想の奥に入っては、いつもショウペン
ハウエルの哲学に接触せざるをえず、彼の哲学は近世風
の衣装で、常にプラトンの高遠な理想と印度の深刻な
思想とを見せてくれた。」
(「意志と現識としての世界(明治43年)」
序言より 姉崎正治)

<古典の教養>
近世の哲学者で、ショーペンハウアーの著作ほど、ギリ
シャ・ラテンの文献からの引用が多い者はいない。
「悲劇の誕生」はショーペンハウアー学徒としての
ニーチェの処女作である。

<ケーベル先生>
ケーベル先生はピアニストを目指してモスクワの音楽院
に入り、チャイコフスキーらの指導を受けた。その後、
哲学に転じた。ハイデルベルク大学での卒論は「ショウペン
ハウアーの解脱論」。ある日、ベルリン大学のハルトマン
教授から突然一通の手紙。日本の東京帝国大学哲学教師の
依頼であった。

<ジンメルは言う>
「もしショウペンハウアーをニーチェと比較するとすれば、
疑いもなく彼のほうがより偉大な哲学者なのだ。彼は万有
の奥なる絶対者と秘密に充ちた関係を保っている。
こういう関係を保ちうるのは、偉大な哲学者のほかには、
ただ偉大な芸術家がありうるのみであろう。かくして
ショーペンハウアーは、彼自身の魂の深みに耳を傾けながら、
存在の最深の根拠を彼自身のうちに響きわたらせているの
である。」
(「ショーペンハウアーとニーチェ」G.ジンメル)

参考:ケーベル先生
「硝子戸の中」(夏目漱石)より
「先生の金銭上の考えも、まったく西洋人とは思われない
くらい無頓着(むとんじゃく)である。・・・先生にいちばん
大事なものは、人と人を結びつける愛と情けだけである。
ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好き
らしくみえる。」
(ケーベル先生の告別)

「ケーベル先生」(夏目漱石)
「文科大學へ行つて、此處で一番人格の高い骸は誰だと聞い
たら、百人の學生が九十人迄は、數ある日本の骸の名を口
にする前に、まづフォン・ケーベルと答へるだらう。」
(明治四四)

panse280
posted at 20:59

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