2008年11月14日

生の目的は禍(わざわい)にある

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(7)」(170)
--「意志と表象としての世界(全四巻)」の第四巻補足--(40)


<生の目的は禍(わざわい)にある>
人間には生得の錯誤がある。それは、私達は幸福となる為に
生存している、という錯誤である。我々は生への意志にすぎ
ない。それ故、我々の意欲を全て引き続き満たしていかない
限り幸福は得られないのだが、それが出来る人間などいやし
ない。
「思慮の無い者は、このため現実の苦悩を感ずるのみである
が、思惟する者には、現実の苦悶の上に更に理論上の当惑が
追加される。」

「生の目的は我々の幸福よりも禍(わざわい)にあると
する方が正しいであろう。・・・苦悩が多ければ多いほど
生の目的に達するのは早く、生が幸福であればあるほど
この目的から遠ざけられてしまうからである。」

「あなたは幸福な者たちがこの上もなく不幸な者たちなの
だということを洞察する時、それがあなた自身の宝となる
であろう。」(セネカ)

<世界が違った眼でみることが出来る>
上記の「生の目的は禍(わざわい)にある」という洞察を
得た者は、

「やがて一切をこれまでとは全く別の光のもとに見、今や
、おのれの願望とは一致しないがおのれの洞察とは一致し
ている世界を見出すであろう。彼はなお様々な不幸に苦し
む事はあっても、もはや不幸がいかなる種類、いかなる
規模のものであろうと驚くことはないであろう。何故なら
彼は、生の真の目的、つまり、生からの意志の転換を目指し
て働いている者が正に苦痛や悲嘆にほかならぬ事をすでに
洞察しているからである。」

(第四十九章 救いの道)

panse280
posted at 21:00

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