2008年10月17日

女をわがものにした後の失望感の意味するもの

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(7)」(142)
--「意志と表象としての世界(全四巻)」の第四巻補足--(12)


<この女をわがものにすれば幸福になれるという妄想>
「彼は、自分自身の快楽のために苦労し犠牲を払っているのだ
と妄想しているが、これもじつは種属の純正な典型の維持のた
めに、いやむしろ、この両親からのみ生まれる全く特定の個性
を生み出すために行われるのである。」


<女をわがものにした後の失望感>
「恋人達は全て、ようやくのことで想いをとげると奇妙な
失望感を覚え、これほどまでに憧れ望んでいたことが他の
全ての性的満足より格別ましなものでなかったことに驚き、
そこで、そのためたいして得もしなかったことを悟るので
ある。すなわち、かの願望とその他のあらゆる願望との関
係は、種属と個体、つまり、無限なるものと有限なるもの
との関係のようなものである。
ところが満足は本来種属のためのみのものであり、そのため
個体には意識されない。というのは、個体は、この場合種属
の意志に鼓舞され、自分の目的では全くなかった目的にいか
なる犠牲を払っても仕えるからである。そこで全ての恋人達
は、この大仕事をついにし遂(と)げたのち、だまされたこ
とを悟るのである。というのは、この場合は妄想によって個
体は種属にだまされていたのであるが、この妄想が消えうせ
たからである。
したがって、快楽にまさるほら吹きはいないというプラトン
の言葉(「ピレボス」)はまこと至言である。」

(第44章 性愛の形而上学)

panse280
posted at 20:24

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