2008年09月15日

事物と一つになる、ということ

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(6)」(111)
--「意志と表象としての世界(全四巻)」の第三巻補足--(4)


<事物と一つになる、ということ>
「直観が純粋に客観的になることによって、個々の事物が
もはや個々の事物として認識されず、この事物の属する類
のイデアが認識されるのであるが、このような客観性の条
件となるのは、人がもはや自己自身を意識せず、もっぱら
直観される対象のみを意識すること、したがって、おのれ
の意識がこれらの対象の客観的な現存の担い手として残存
している、ということである。この状態を困難にさせ、そ
のため稀なものにする原因は、この状態においてはいわば
偶有性(すなわち知性)が実体(すなわち意志)をただ
つかのまではあるが支配し解消させる、という事情にある。」

(第30章、純粋な認識主観について)


参考:鈴木大拙の言葉より
<全ての問いはおのずから解決される>
「問いはけっして問う者から引き離さるべきではないとす
るのが、仏教の行き方である。両者が分たれているかぎり、
問う者に解決はもたらされないであろう。・・・
問いを解くとは、それと一つになることである。この一つ
になることが、そのもっとも深い意味において行われる時、
問う者が問題を解こうと努めなくとも、解決はこの一体性
の中から、おのずから生まれてくる。その時、問いがみず
からを解くのである。これが、「実在とは何か」という問
いの解決についての仏教者の態度である。」

panse280
posted at 19:44

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