2008年09月07日

植物の恥じらい

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(6)」(103)
--「意志と表象としての世界(全四巻)」の第二巻補足--(7)

<私の形而上学の根本認識の第一歩>
意志は認識に先立つもの、われわれの本質の核心であり、
身体の無意識的な機能並びに意識的な機能を働かせるこ
とによって動物的身体をつくり維持するあの根源力その
ものである。

<私の形而上学の根本認識の第二歩>
意志が一般に、真の唯一の自動機械として、言葉の本来
の意味において、非有機的自然のあらゆる力の基礎にあ
り、自然力のさまざまな現象のすべてにおいて活躍し、
作用し、自然力の法則に権能を与え、最も粗雑な魂にお
いてさえもなお重さあるものとして自分を認識させると
いうこと。


<植物の成長と欲望>
「アナクサゴラスとエンペドクレスが、植物はその内に
内在する欲望によって成長という運動をもつと教えたの
は、全く正しい。
・・・
プラトンは欲望のみを植物に対して認めた。(「ティ
マイオス」)」

「全ての自然物は自己保存を志向している。」


<植物の恥じらい>
「植物が認識無きものであるからこそ、植物は自らの性
をあらわす部分を麗々しく人目にさらし、全く無邪気で
いるのである。・・・生物の系列の中に認識が生ずるや
いなや、たちまち性を表す部分は隠された部位に置かれる。」

panse280
posted at 19:17

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