2008年08月30日

大衆の形而上学的欲求としての宗教

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(5)」(95)
--「意志と表象としての世界(全四巻)」の第一巻補足--(16)

<大衆の形而上学的欲求としての宗教>
「人間は形而上学的欲求を不可避的なものと感じている
のだが、宗教は、この形而上学一般の役割を、主要な点
において、また思考にふけることの出来ない大多数の者
たちのために十分その役割を果たすのである。
・・・
苦難に際して宗教は、客観的に真なる形而上学にいささか
も劣らず、人間をおのれ自身と時間的存在を超えて高める
ことによって、かかる形而上学の代わりを完全に果たす。」


「大衆が哲学者であることは不可能である。」
(「国家(プラトン)」


<私の哲学は仏教を最も勝れた宗教だと判断する>
「私が私の哲学の結果を真理の尺度としようとするなら、
私はは仏教を他の宗教より優れたものと承認せざるを
えないだろう。
・・・
私の学説が、地上で多数を占めている宗教とかくも深遠
な一致を見ているのを認めることは、私の欣快(きんかい:
喜ばしく気持ちがいいこと)とするところである。」
(第17章)

注:形而上学:現象を超越し、その背後に在るものの
真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟
により或いは直観によって探求しようとする学問。
神・世界・霊魂などがその主要問題。(広辞苑)

panse280
posted at 23:34

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