2008年08月06日

この世は無か?

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(3)」(71)
--「意志と表象としての世界」--

<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--

<この世は無か?>
「意志の全面的な廃棄のあとに残っているものは、
まだ意志で満ちあふれている人々全てにとっては、
確かに無である。
しかしまた逆に、意志がおのれの向きを転換させ、
おのれを否定してしまった人々にとっては、この
われわれのこれほどまでに実在的な世界こそ、その
太陽と銀河のすべてを含めて、--無である。」
(第七十一節、最終節)


参考:無あるいは存在について
<聖徳太子の言葉>
「世間(せけん)虚仮(こけ)唯仏是真(ゆいぶつぜしん) 」
この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみ
が真実であるということ。

<禅の存在論>(鈴木大拙)
「AをAであらしめるためには、非Aが必要で
あるが、これは、Aの中に非Aがあることを
意味する。
AがA自体であろうとする時には、それはすでに
それ自体の外にある--つまり非Aである。
もしAがその中にそれ自体でないものを持って
いないならば、AをAであらしめるために、
Aから非Aが出てくることはできない。
Aはこの矛盾ゆえに、Aである。
そしてこの矛盾は、われわれが論理化を行なう
時にはじめて出てくる。
われわれが”如”の中にいるかぎりは、何の矛盾
も存しない。禅は矛盾を知らない。」

<現代物理学での無>
現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的
に存在しない、と。

panse280
posted at 21:02

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