2008年08月02日

自由--恩寵の王国

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(3)」(68)
--「意志と表象としての世界」--

<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--

<自由--恩寵の王国>
性格は全体として意志の現象である。
性格は認識の変化によって、破棄される。これが
”恩寵の働き”と呼ばれるもので、それは禅でいう
悟りであり、キリスト教でいう再生である。
マールブランシュが「自由はひとつの秘儀である」
といったのもその意味である。
動物には自由の可能性はまったくない。
必然性は自然の王国であり、自由は恩寵の王国である。

「意志の自己廃棄は認識から生じるけれども、あらゆる
認識と洞察はそのものとしては意志に依存していない
のであるから、意欲の否定、自由への参入ということも、
意図によって無理に勝ち取られるものではなく、人間
における認識作用と意欲作用との最も内密な関わり合い
から出てくるのであり、したがって外から飛び込んで
きたかのように突如としてやってくる。
こういうわけであるから、教会はこの自己廃棄をまさに
恩寵(おんちょう)の働きとよんだのである。
・・・
われわれの現存の背後には、なにか別のものが潜んでいる。
われわれがこの世界を振り棄てることによって、はじめて
それはわれわれにとって近づくことのできるものとなる。」
(第七十節)

panse280
posted at 20:39

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字