2008年07月30日

或旧友へ送る手記

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(3)」(65)


余談:自殺、マインレンデルに関して

芥川龍之介 「或旧友へ送る手記 」より
-------------------------------------------------------
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。
それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不
足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、は
つきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。
・・・
君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精
神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。
しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。
・・・
それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、
少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来
に対する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用
することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に
近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌
のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎(とが)
めない。……
僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。

僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを読んだのも
この間である。マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向
ふ道程を描いてゐるのに違ひない。

が、僕はもつと具体的に同じことを描きたいと思つてゐる。
家族たちに対する同情などはかう云ふ欲望の前には何でもない。
これも亦君には、Inhuman の言葉を与へずには措(お)かない
であらう。けれども若(も)し非人間的とすれば、僕は一面に
は非人間的である。
 僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持つてゐる。
(僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。

それは僕の「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつもりであ
る。
・・・
僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふこと
だつた。
縊死(いし)は勿論この目的に最も合する手段である。が、僕
は僕自身の縊死してゐる姿を想像し、贅沢(ぜいたく)にも美
的嫌悪を感じた。

(僕は或女人を愛した時も彼女の文字の下手だつた為に急に愛
を失つたのを覚えてゐる。)

溺死も亦水泳の出来る僕には到底目的を達する筈(はず)はな
い。のみならず万一成就(じやうじゆ)するとしても縊死より
も苦痛は多いわけである。轢死(れきし)も僕には何よりも先
に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふ
る死は僕の手の震へる為に失敗する可能性を持つてゐる。
ビルデイングの上から飛び下りるのもやはり見苦しいのに相違
ない。僕はこれ等の事情により、薬品を用ひて死ぬことにした。
・・・
それから僕の考へたのは僕の自殺する場所である。

僕の家族たちは僕の死後には僕の遺産に手(た)よらなければ
ならぬ。僕の遺産は百坪の土地と僕の家と僕の著作権と僕の貯
金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した為に僕の家の売
れないことを苦にした。
・・・
僕は唯家族たちの外に出来るだけ死体を見られないやうに自殺
したいと思つてゐる。

 しかし僕は手段を定めた後も半ばは生に執着してゐた。従つ
て死に飛び入る為のスプリング・ボオドを必要とした。
(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪悪とは思つ
てゐない。仏陀は現に阿含経(あごんきやう)の中に彼の弟子
の自殺を肯定してゐる
・・・
プリング・ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。
・・・
唯僕の知つてゐる女人は僕と一しよに死なうとした。
が、それは僕等の為には出来ない相談になつてしまつた。その
うちに僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。

それは誰も一しよに死ぬもののないことに絶望した為に起つた
為ではない。寧(むし)ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ
死別するにもしろ、僕の妻を劬(いたは)りたいと思つたから
である。
同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも
容易であることを知つたからである。そこには又僕の自殺する
時を自由に選ぶことの出来ると云ふ便宜もあつたのに違ひない。

 最後に僕の工夫したのは家族たちに気づかれないやうに巧み
に自殺することである。これは数箇月準備した後、兎に角或自
信に到達した。(それ等の細部に亘(わた)ることは僕に好意
を持つてゐる人々の為に書くわけには行かない。)
・・・
僕は冷やかにこの準備を終り、今は唯死と遊んでゐる。この先
の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであらう。

 我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂
(いはゆる)生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。
僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にも倦(あ)いた所を
見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐ
るのは氷のやうに透(す)み渡つた、病的な神経の世界である。
僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、
しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。

若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、
我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。
しかし僕のいつ敢然と自殺出来るかは疑問である。唯自然は
かう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しい
のを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。

けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るから
である。

僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを
重ねた中にも多少僕には満足である。

どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措(お)い
てくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないの
である。

 附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい
欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、
みづから神としないものである。いや、みづから大凡下
(だいぼんげ)の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹
(ぼだいじゆ)の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた
二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神に
したい一人だつた。
(昭和二年七月、遺稿)
----------------------------------------------------------

panse280
posted at 20:30

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字