2008年07月22日
世俗を超克する者
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(57)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<世俗を超克する者>
「この世界の提示しうる最も偉大で、最も重要で、
最も有意義な現象は、世界を征服する者ではなく、
世俗を超克する者なのである。
それゆえ実際のところ、次のような人間の静かで
あって人の目にとまらぬ行状なのである。そういう
人間には、次のような認識が立ち現れている。
すなわち彼はその認識の帰結として、万物を満たし
万物の中で駆動し万物の中で努力している生への意志
を見棄て、否定するのである。
生への意志の自由は、ここにおいてはじめて、かかる
人物の中にのみ登場する。
これによっていまや彼の行為は普通の行為とは正反対
のものとなる。
・・・
哲学者にとっては、おのれをおのれで否定するこうした
聖者たちの所伝は、たいてい書き方はいたく拙劣であり、
それどころか、迷信やばかげたことを混じえて説かれ
てはいるものの、やはり素材が有意義であるだけに、
プルタルコスやリウィウスさえも比較にならないほど
教えるところが多く、いっそう重要なのである。」
(第六十八節)
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(57)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<世俗を超克する者>
「この世界の提示しうる最も偉大で、最も重要で、
最も有意義な現象は、世界を征服する者ではなく、
世俗を超克する者なのである。
それゆえ実際のところ、次のような人間の静かで
あって人の目にとまらぬ行状なのである。そういう
人間には、次のような認識が立ち現れている。
すなわち彼はその認識の帰結として、万物を満たし
万物の中で駆動し万物の中で努力している生への意志
を見棄て、否定するのである。
生への意志の自由は、ここにおいてはじめて、かかる
人物の中にのみ登場する。
これによっていまや彼の行為は普通の行為とは正反対
のものとなる。
・・・
哲学者にとっては、おのれをおのれで否定するこうした
聖者たちの所伝は、たいてい書き方はいたく拙劣であり、
それどころか、迷信やばかげたことを混じえて説かれ
てはいるものの、やはり素材が有意義であるだけに、
プルタルコスやリウィウスさえも比較にならないほど
教えるところが多く、いっそう重要なのである。」
(第六十八節)