2008年07月19日
禁欲--この矛盾なる正当
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(55)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<禁欲(2)>
「彼は意志そのものを制欲するのと同じように、意志
が目に見えるものとなった形態、意志の客体性つまり
身体をも制欲する。
彼は身体に栄養をわずかしか与えない。
それは、身体が豊満に生気あふれて成長し、身体は意志
の単なる表現であり鏡であるにすぎないのに、この意志
を新しく生気づけたり、勢いづけて強化したりすることの
ないようにするためである。
そこで彼は断食をするようになる。それどころではない。
苦行をし、自らを苦しめるようになる。
それというのも、苦しんでいるおのれの現存と世界の
現存との源泉であると彼が認めて嫌悪している意志を、
絶えざる欠乏と苦しみによって益々、挫(くじ)き押し
殺すためである。」
(第六十八節)
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(55)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<禁欲(2)>
「彼は意志そのものを制欲するのと同じように、意志
が目に見えるものとなった形態、意志の客体性つまり
身体をも制欲する。
彼は身体に栄養をわずかしか与えない。
それは、身体が豊満に生気あふれて成長し、身体は意志
の単なる表現であり鏡であるにすぎないのに、この意志
を新しく生気づけたり、勢いづけて強化したりすることの
ないようにするためである。
そこで彼は断食をするようになる。それどころではない。
苦行をし、自らを苦しめるようになる。
それというのも、苦しんでいるおのれの現存と世界の
現存との源泉であると彼が認めて嫌悪している意志を、
絶えざる欠乏と苦しみによって益々、挫(くじ)き押し
殺すためである。」
(第六十八節)